孕み女 | いい小説とは?|盗作日記

孕み女

 正親町天皇の御世、西暦千五百年頃、福井は三国に、絶世の美女がいた。その美しさは氷のように冷たく、また、刃物のように鋭利だった。近付けば凍えてしまいそうで、また、刺されたような痛みを感じるほどだった。

 氷のような彼女の目だが、決して澄んではいない。殺人鬼の妻のような、影のある目だった。

 彼女の幼い頃を、誰も知らなかった。何処で生まれたのか、親は誰なのか、名は何というのか。誰一人として知る者はいなかった。

「墓場から出てきたようだ」

 誰かがそんなことを言った。そんなことはある筈がないが、そうであっても不思議ではないほど、彼女の美しさは人間離れしていた。

 その美しさは、城下でも評判になり、越前領主、朝倉義景が一目見たいと言い出した。家臣は、名も知らぬ娘を城内に立ち入らせることなどできぬとして、諦めさせようとしたが、義景は「ならばわしが名を付ければよいことではないか」と言って引き下がろうとはしない。このあたり、遊芸を好んだ義景らしい。

 雪の降る昼時、娘は城内に連れてこられた。町娘である筈が、城内に入っても全く臆することなく、悠然と振舞っている。義景が名を尋ねても、「存じません」としか言わない。しかし、この態度に義景は逆に興味をそそられる。

「お前は遊女か」

「違いますが、貴方が望むなら遊女にもなりましょう」

「では、遊女になれ。それも、わしだけの遊女にな」

 その日から、娘は義景の側室になり、沙華と名付けられた。しかし実際は、正室よりも上等の扱いを受けることになった。高価な茶、興趣にとんだ香、色鮮やかな着物。しかし、どれを与えても、沙華はにこりともしなかった。

 能を見せても、沙華は顔色一つ変えずに、ただ舞台を見詰めるだけ。義景もさすがに不安になってきた。どうしてこの娘は笑わぬのだろう、と。

「おい、能は楽しいか」

「いいえ、こんなものが面白いということがありますでしょうか?」

 義景は、沙華を笑わせようと躍起になり始める。家臣にも沙華を笑わせるよう命じ、成功したものには褒美を出すことにした。

 そんなある日、一人の家臣が大急ぎで義景の許にやって来た。

「おい、無礼ではないか」

「お許し下さい。じ、じ、じじ実は今、沙華様がお笑いになられたのです」

「なんじゃと。何を見て笑ったのだ?」

「…これが、何とも酷いことなのですが…」

「よい、申してみよ」

「は、はあ。実は、屠殺場で沙華様がけたけたとお笑いになっていた、とか…」

「何故沙華がそんな汚らわしいところにいるのだ」

「それは存じませんが、部落の者がそう申しておりました。猫の死骸の山を見て、大いに笑っていた、と」

 義景は身震いした。しかし、もう次の瞬間には「猫を用意せよ」と叫んでいた。

 その日から毎晩、沙華のために猫が一匹ずつ殺されていった。沙華は、腹を裂く瞬間に最も笑った。

 しかし、二週間もすると沙華は飽きてしまった。そのため、対象は猫から牛になり、人になるのにさほど時間はかからなかった。

 そうすると、沙華のために人を殺しまでするのは行き過ぎではないかという声が家臣からあがり始める。しかし、沙華の美しさにもはや狂ってしまった義景は、反感を持つ家臣から順に、夜の宴の肴にした。

「義景さま」 

 寝室で、沙華は義景に話しかける。もはや、亡霊に憑かれたとしかいえない状態である。

「何じゃ、何でも申してみよ」

「色んなはらわたを見てきましたが、私はまだ物足りませぬ。孕み女から、赤子を取り出すところが見とうございます」

「それは面白い。早速、今晩の宴に饗そうではないか」

 そして、夜。

 一人の妊婦が、酒宴の席に連れてこられた。彼女は半ば狂った表情で泣きわめき、命乞いをするが、二人の方が狂っているのだからどうしようもない。

「やれ」

 その声で、雇われた部落民が腹に刃を添わせ、手前に引いた。その刹那、血がほとばしり、悲鳴は絶叫に変わる。

「あっははは」

 沙華が笑い始める。それを横目で見て、義景も同じように笑う。

 次に、刀が深く刺さる。最後まで決して殺しはしない。沙華の愉悦が薄まるからだ。

 刃が腹部をえぐり、血だけではなく内臓もこぼれてくる。義景はさすがに目をそらすが、沙華はけたけたと笑い続けている。

「手を! 手を入れよ! 赤子を引きずり出せ!」 

 沙華が嬉々として叫んだ。その声に、渋々と男は手を差し込み、まだ手のひらに乗ってしまうほどの大きさしかない赤子を引きずり出した。

 妊婦はこの世ならぬ声で叫んだ。その声は天をも震わせ、その日、終わりのないと思われるほどの雨を降らせた。

 沙華はといえば、狂気じみた笑い声を上げながらのた打ち回り、その場で数十分も笑い続けた。 

 この噂は、城内はおろか、そこかしこに広まり、妊婦の一部は恐れのあまり流産した。そして、沙華は再びあの宴を求めた。

 その日から、妊婦を集める旨の立て札が立てられた。そこで、妊婦のいる家族は一斉に逃げ出し、義景の目の届かぬ某所に引っ越してしまった。

 そのため、現在その土地に住む者の祖先をたどっていくと、ほとんどが逃げ出した孕み女たちに行き着くということである。

 その後、天正元年は八月、義景は戦において北近江から撤退したが、信長がこれを追撃し一乗谷に乱入し、義景は、一族の景鏡の裏切りに会い、八月二十日、六坊賢松寺に囲まれ、自刃した。それによって、越前の名家、朝倉家もついに滅んだ。

 しかし、その後、沙華がどうなったかは、誰も知らない。ただ、自らの腹を裂き、笑いながら死んだという話だけが今でも残っている。

<了>